赤く赤く染めたその淡い果実のような唇は悩めかしく、どこまでも深く艶めかしい艶やかな髪は神が与えた産物のようだ。陶磁器のようなその肌は触れようものなら今にも脆く崩れてしまいそうだ、いや、そうに違いない。身分の違いを此処まで恨み嘆いたことなど今までに一度もなかったが、このとき初めて強く思った。が、しかし、もしこれでなかったとしたならばこの様に出逢うことすら叶わなかったのだろう。さしずめそれはロミオとジュリエットの叶わぬ恋、とでもいいたいけれど、一方的な恋だからその表現はおかしいかもしれない。
「あら、おはよう。今日も護衛をご苦労様ね」
「はい、有り難きお言葉ありがとう御座います」
芳しい香水の柔らかい香りが彼女が此処にきたという証明のようだ。去り行く後ろ姿も、扉の内に入り行き見えなくなったそのときも、まるで蜃気楼を手で掴むようで。美しい、その言葉しか頭に浮かばず、声に出すにも咽元で蜘蛛の巣のように広がり出てこない。薬のように苦々しく、じわじわと吐き気を催す。
「ああ、今日も美しい。わたしの」
もし、こんな身分でないならば。
「ありがとうございます」
もし同じラインに立て、そして出逢えたなら。
「全くもってわたしは素敵な婚約者を見つけたものだ」
言いたかった台詞をこんなにも軽々しく言え、抱きしめ、キスをして。
「そう仰有って頂けると嬉しいですわ」
薄い扉一枚を隔て聞こえてくる彼女の小さく抑えた喘ぐ声も、その普段見せぬ表情も、全て、全て、手に入れることが出来たのだろうか。
俺はただ目を瞑り、その拷問のような音が止むまでの間をひたすらに警備する。
そうするしか出来ない。