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目に当てられていたマスクを取る。黒い皮のベルトのような目隠しに音を全て消し去る耳あてが付いたもの。
タークスに入ると決まったときに、神羅の医療機関から送られてきたのだ。初めてつけたとき肌に吸い付くように凄くしっくりきて驚いたのを覚えている、まるで前々からつけているような気持ちだった。そして不思議なことに目隠しをしているにも関わらず、視界が見える、というべきか、視界が頭の中に描きだされてくるのだ。人の姿は見えないけれど、それは気配でわかった。”任務中以外必要なときにつけること”とマスクが入っていた箱の中に安定剤と一緒に添えられてメッセージがあった。続けて”これからは定期的に医務室にきて診療すること”と。
そのとき今まで通っていた病院にもう通うなということなんだと察した。神羅に入ったものは全て神羅に管理される。こんなマスクを渡されるということは、多少なりわたしは腫れ物として扱われているとわかった。
蛇口を捻り、注ぐ熱いシャワーに身を当てた。髪を滑り落ちるようにお湯が流れていく。熱が身体を包んで、もやもやと取り巻く嫌なものが汗と混ざり合って下水道に吸い込まれる。顔を手で拭い瞼を開けると湯気とお風呂場の灯りに気付いて、やっぱり本物の光は少し眩しすぎるものだと感じた。
目を瞑り耳を塞ぎ、地面にしゃがみこんで蹲っていられたら、どんなにわたしにとって生きやすい世界だろうか。コミュニケーションは得意じゃない、わたしの周りに人が集まることなんてない。でもそれでいい。わたしという存在が小さくてひっそりとしているものでいて欲しい。自分の殻に永遠に閉じこもっていたい、突き破ろうなんて毛頭思わない。安定剤は自我を保っているためだけ、ただそれだけ。
だから神羅が腫れ物扱いにすることは一向に構わない。黙々と与えられたノルマをこなす、出来ればそれ以上の成果を出せればいいと思う。ただ、タークスに入ったのは果たして成功だったのだろうか、それだけはずっとぐるぐると頭の中を這いずり回っている。命が惜しいかと言われればはっきりとは答えられないが、神羅のために命をかけるのは馬鹿げている。
再び捻るときゅっと音を出して水音は途絶えた。先程までからからと乾いていた床のタイルは、うねうねと蛇が這ったような跡を残していた。一通り頭や体をバスタオルで拭いて風呂場からでると、窓が開いていたせいかひやっとした清々しい朝の空気がわたしを撫でた。朝なんだ、と今日初めて感じた気がする。
新しい下着をつけて、ハンガーに掛かったワイシャツを着る。髪がまだ湿ったまま、少し散乱した机の上に置いてある薬入れの缶から“今日の分”の薬を出してミルクティーで飲んだ。どうも薬は昔から苦手で、粉薬は飲めないし、水で薬を飲むのを嫌っていた。
今日は誰と任務をこなすのだろうか、多分聞き込みだから一人で行動することになるのだろう。いつも通りのつまらない日常、変わらない毎日。戦争が起こればいいなんて願っているわけではないけれど、無駄に体力を浪費するばかりで退屈する。
冷蔵庫から賞味期限がぎりぎりのサンドイッチを取り出して食べた。薬と食事の順序が逆だと気付いたけれども、過ぎてしまったことは仕方がないと思う。唇がかさかさしていたので、投げ出していたスーツを着た後右ポケットに入っているリップクリームをつけた。そしていつも通りマスクをつけ玄関を出て、再び会社へ戻る。コーヒーショップによりたいと思ったが時間が足りなくなりそうなので諦めた。
外を歩いているときに、周りの人たちはマスクをつけたわたしを不思議に思うかもしれない。でも、マスクをつけているわたしには周りの様子など見えないし、声など聞こえない。だからわたしは安心して今日も外を歩くことが出来る。