気付けばいつも一人。友達がいないわけじゃないけれども、大体がわたしより仲が良い友達がいてそちらにいく。だから一人でぽつんと取り残される。わたしの親友と呼べる子達とはばらばらなところに置かれていて、だから会うこともなかなかままならない。今までは一人が嫌いではなかった、閉鎖的な空間に浸り誰かの侵入を拒み狙撃した。いつからだろう、一人がこんなにも恐くなったのは。孤独、その言葉がわんわんとスピーカーを通したみたいに鳴る。それはサイレンと言っても過言出はないだろう。この音は点滅する鈍い赤色のようで酷く鋭利だ。

*

「どうしたんだ、珍しく俺の家に来たと思えば妙に暗いじゃないか」

ダージリンティーで作ったミルクティーを啜りながら言った。此処は変わらずに美しく手入れをされた薔薇園で、そこを臨めるちょっとしたカフェテラスだった。

「………知らない」

ぼやくように放ち同じように啜る。英国製のお紅茶は相変わらずに美味しい、伝統の賜物だ、と悔しいながらに思う。彼はわたしの言葉を至って気にすることもせずに香りを楽しみまた啜った。それがまた悲しく悔しいかった。
彼もわたしも時代の移り変わりによって大分変わってしまった、の、だろうか。分からないけど少なくともアーサーは、だ。そう感じる。昔は執拗なまでにわたしを寵愛し束縛したというのに、今ではこんなにも素っ気なく感じてしまう。独立後、段々と距離を感じるようになった。電話も、メールも、前まではうんとしていたし、返事を返さないと怒られているような日々だった。しかしそれが少しずつ削り取られるように減っていき、今では日に何通か、彼からそれらを断ち切って止めることも多くなった。華やいだ木々の花々の花弁が枯れて寂しく果てていく様子に似ているかもしれない。そのときに彼から自立したいと思いながらも甘えていたことに気付いた。一人になって尚更だ。孤独を知った今、孤独から守っていてくれた者の存在をしった。
ああ、泣きそうになる。紅茶を含み噛み砕くように飲み込む。甘いけど少しほろ苦い、けれどもそれを顔には出さない。独立して学んだことだ。

「アーサー……」

「何だ」

「………呼んだだけ」

瞳を見れずにうじうじとそうするしかない。素っ気ないその声が心の拠り所は消え去ったのということを心中で背理法を使い証明をしたように感じた。さらざるをえなかった。心の中にもやもやとした黒い黒い雪が降り、わたしの中の若葉の生気を貪るように吸い取り塵にする。
そのときには必ずと言うほどにあのサイレンが鳴る。
下唇を噛んだ。呼吸が早く過呼吸気味になっていた。鞄から頓服用の精神安定剤を取り出して気づかれぬように流し込んむ。こんなのはただの自己暗示に過ぎないのだろうが。

「おい」

「……何ですか」

「紅茶は飲み終えたか?」

「あ、うん…殆ど」

「なら、ちょっと来い。お前が出ていったせいで使わなくなった物が沢山あるからな」

いきなり立ち上がったものだから勢いよく椅子が鳴った、白い鍍金が剥がれてしまうのではないかと言うばかりに。
アーサーの平淡なその言葉の裏に隠されたいらいらとした怒りのようななものにまたわたしの心がじわじわとナイフで切り裂かれている。柔らかいそれに食い込み、ちゅぷりと音を上げ赤々と光を反射した血が 吹き出す。それでも心は鼓動を止めず、唸る度にそれは溢れ出て熱い。二つに細胞と細胞が切り分けられる瞬間のあの独特の恐怖と痛みが鈍いけれど鋭いペースでわたしを陥れた。リストカットなんかより全然痛い。
黙々と歩く彼に黙々と付いて行く。昔みたいに手を繋ぎ歩調など合わせてなどくれない。今日はとても厭世な日なのかもしれないと一人思い、表面で笑った。
あのときには特に何も感じずただただ広いだけだった彼の家の中が、今では少しだけ違って見えた。彼のしてくれていた優しさが滲み出るように。彼の毎日のわたしへの懺悔が、古い空気を伝わり脳内のスクリーンに映し出される。昔はそれはわたしをあの事から縛り付ける茨の鎖にしか見えなかったのに。
ずっとずっと有り続けている大きな振り子時計が時間を刻むのを聞きながら、よく知りよく通った長廊下を進んだ。アーサーの足が奥から二つ目の部屋で止まる。金色の鍵でそこをゆっくりと開ける。
彼越しに映り驚いた。懐かしいベイビーパープルやミルキーピンク。埃などまるで溜まってはいない。
そのとき思い切り腕を引かれ、その淡いベッドに投げられた。彼も内に入り扉の鍵をかけた。

「……アーサー?……」

急な出来事に頭が混乱し、よくわからなくなり無意識に手を伸ばし求めようとした、迷子みたいに。
だがその手は宙を切り近付いて来た彼に掴まれて柔らかいシーツに埋め込まれた。強い力で動けず、覆い被さってくる顔が酷く距離を縮める。意識が飛びそうになるほどの、あの絡めるみたいな上手なキス。呼吸をする事さえ赦されないそれ。全ての決定権は彼。

「ん………っ……ぷはっ…」

「はぁ…っ…、……。」

何時もより低いその声は、毒が含まれているのではないかと思う。わたしは、泣いた。堪えることができなかった。孤独に、恐怖に、虚無に、アーサーの突然の行動に。嬉しいのか哀しいのかさえ分からない、入り混じる斑尾模様の気持ち。

「泣くな……そんな顔をするな…あのときのような哀しみを思い出させるようなことをするな……。お前は独立して幸せになった筈なのではないのか?俺を切り離しお前は世界へと去っていった。俺は最後まで嫌だった、の独立がな。ただそれがお前の幸せになるならばということで渋々と了解したはずだ。ずっと我慢していた…。なのになんで……なんで……そんなに辛そうな顔をしているんだ!!」

ぎちぎちと食い込む押さえ込まれた腕から、じんわりと温まる。恐怖が無いわけでではない、怖い、とそう思う。ただそれ以上に孤独になることに怯えていた。
ひたひたと頬に落ちてくるその生温い雫を感じた。彼が泣くのを見たのは何度目だろうか。わたしの瞳からもぼろぼろと止まることを知らずに流れこぼれる。この一粒一粒が真珠であるならば、どんなに美しいものだったのでしょう。

「ちくしょう!!ちくしょう!!」

「………ぅ……あ゛」

首を絞められるよりも息苦しい。どうしようもできず乱暴に服を破き鎖骨に痕を残していくアーサーを感じることしか出来ない。ああ、また、犯されるんだ。そう予期したけれども、初めてのときほどの拒みも無かった。単に大人になったのか、アーサーで寂しさを紛らわせようとしている卑怯者なのか。多分両者だ。

「う゛あ゛あ゛………ぁ…」

強く目を瞑りながら呻く。甘ったるい声なんか出るはずがない。そんなものは今のわたし達ではお互いを傷付け合うことにしか結び付かない。そして繰り返し飛びそうになる意識を刺繍糸一本で繋ぐ。
セックスなど所詮はお互いの欲を満たすだけの一つの方法でしかない。きっと“一人”の個体として生きていくことに絶対的な恐怖感や孤独、それを感じるから自分と違う他者を求めて一つに交わることでその瞬間に自他という境界線を消すのだ。自我などないひとつの世界という単細胞の一個体にするのだ。
多分わたし達はそれを知っている、少なくともわたしは。
それでもなおそれに縋り付いてしまうのは、やはりある種人類というものに関わっているための性かもしれない。

「アーサー……好…き…」

無意識のうちに喘ぎでもなく漏れた言葉。そのとき、頭の中でわんわんとサイレンがさんざめいていた。