「…………帰ります」
いきなり現れて好き勝手な振る舞いをしたかと思えば、突如こんなことを言いだしてすくりと立ち上がった。先程までのあの元気さはどこへ行ったのか疑問に思うほどの落ち着いた口振りであった。
「勝手に上がりご迷惑おかけしました。不味かったけれども食べ物も恵んでくれてありがとう」
その言葉にはっとして上体を起こすと、彼女の横顔に見える瞳が窓の先のどこか遠く遠くを見据えている様子で、鳩尾の鈍い痛みがじわじわと込み上げた。何も言うことが浮かばず視線を下げれば、骨の形が皮膚越しに見えそうなまでのその手首が視界に入り思わず目を背けたくなる衝動にかられた。しばらく彼女は見つめたのち、窓に背を向けて細い足で床を蹴った。少しずつ距離が生まれる。彼女の眺めていたところに焦点を合わせると酷い暗雲が空に立ちこめていて、一嵐がきそうな予感を思わせる。
そのとき万有引力が何かを引き合わせるように、当たり前のようで、でもどこかふわふわとした感覚が俺を支配した。
ねぇ、ねぇ、ねぇ。
後悔、後悔、後悔。
傷、傷、傷。
脳裏にエコーしてぐるぐると響きながら浮かび上がる文字。脳内を伝い肺に入り大動脈を巡る。そして動脈から静脈を伝い二酸化炭素と混じり合い、口元の舌のあたりに居座った。こじ開けられる。
「長い嵐が来そうだ、ここに暫く生活して凌げばいい」
言葉を口にしていた。